昔の職場の研修所で流行っていた言葉。
「To confuse Russian.」と、誰かが言うと、
「So we are!」 とか返ってくる。
「To confuse Russian.」とは「ソ連人を惑わす為だろ!」ってな意味で、理解が難しいテクノロジーを揶揄する冗談。
「1980年代当時の高度な電子技術は、ソ連スパイが情報を盗んでも理解できない様にわざと回りくどい理解不能な設計をしていたんです。」と云う、ナンチャッテ。
当時に自分たちが扱っていた機器は設計者が殆ど趣味で作っているのかと思わせるほど凝りに凝った装置であったので、まともに理解するのが大変であった。
ので、研修で機器の内容を習う人たちは「わざとこんな難しい装置を作りやがって、ソ連スパイに盗まれるどころか、俺たちにも理解できないじゃねぇか」と冗談交じりの愚痴を言ってました。
実際には制御理論が先行して出来上がっていたもので、その理論をそのまま電子回路や機械機構に落とし込んだものでしたので、制御理論がちゃんと理解できていれば自然と電子回路も理解できるような塩梅ではありました。
最近、色々なプログラムとかを参考にしようとして読んでいると、頭の中で「To confuse Russian」が浮かんで来る。最近の場合は、「コイツら、何考えてんだ!」って意味。プログラム界では時々あったけど、最近は「コイツ、頭は大丈夫か?」って感じが多くなって来ている。
元々、プログラムは組み込み用で組んで来たので、「何があっても止まらないプログラムで、メンテナンス性も担保されるもの」を作るのが私たちの責任であり常識でもありましたが、もうそう云った意識は無くなってしまっているのでしょうか?
ついこの前までは国産のSHとかH8とかのCPUを使って来たけど、近年の流れに合わせてArduinoとかを触ると「大丈夫か? コイツらの頭は?」って不安になって来てしまう。洋物のコードは殆どUnreadable。要は内部アルゴリズムがチープではなかろうかという不安で、SHとかで感じられていた常識的な動作がどうやら期待できないのではないかと不審になってしまう。つまり例外想定が貧弱なんで、想定外動作に対する補償アルゴリズムを入れなくてはならないのか、データにパリティ入れようかな、誤り訂正を入れようかな、でもそうするとCPU負荷が半端じゃないんでFPGAで計算させようかな、そん時の電源はどうしようかな、と、おバカな妄想状態にハマり込んで本棚の書籍をひっくり返したりしている。そもそもCPUの設計時に良く考えて補償を入れておけば誰も苦労しないのにって。
ですよね~、って、昔の先輩とかは天才的というか、神憑り的な人とかが社内に居て「絶対に追い付けない」とか思っていたけど、其れは技術力なんかじゃなく、其れは技術力にユーモアとかも混ぜた視野の広さとか人間性があったんですけど。
本国の研究所に居た時は1コが数百万円の部品を毎日何個もブッ壊して耐久試験でデータ収集してたとか、私も行った現場では1か月掛かる機器調整を1週間でやれとか「バカやろう、こんなん出来るわけねーだろ」と言いながら社内最強コンビの先輩が突貫でやっつけてしまうとか信じられない光景に圧倒させられたりしましたけど、新人で先輩の下に就いたときは自分が耐久試験されてるのかって思うぐらいでした。
昨今の長時間労働云々とかから見ればとんでもないと言われる様な過酷な現場とかでしたが、若いうちにそんな先輩たちの所業に付いて行ったりすると、自分も果たしてどれくらい耐えられるかって48時間連続プログラミングとかに入り込んでしまったりして、そのうちにだんだんとハイになっていって、後日にプログラムだの計算式だのを見ると「なんて事だ、どうやって作ったのだろう、もう一回やれって言われても無理」ってな物が出来上がってしまっている。人から説明して暮れと言われても自分でも分からないので「小人さんが作ってくれた」とトボけたりしちゃう。
結局、自分でも分かんなたっりするので、、、「To confuse Russian」。
Bye By Kisaki.